江戸東京博物館「東京の交通100年博」で発電所を考える。

江戸東京博物館「東京の交通100年博」は7月14日より9月10日まで。
東京の公営交通100年ということは東京市電気局ができて100年という意味でもある。
東京電力は戦時統合でたくさんの電力会社がひとつにさせられた結果、誕生した。それまで東京の市電(後、都電)は東京市がつくって発電所の電力で動いていたのだ。
(写真右上)昭和24年(1949年)製造の都電荒川線、6000型の実物。昭和30年代のセットは来年1月公開の「ALWAYS 3丁目の夕日」第三弾で実際に使ったもの。車内には当時の中吊り広告が再現されている。
(写真下)大正13年(1924年)の東京市営バス。関東大震災で市電の車両の多くが焼失し、代替の交通手段として米国からフォード自動車を輸入してバスに仕立てた。乗客11人定員。明治初期の「円太郎馬車」と似ていたため、「円太郎バス」と愛称がつけられるようになった。「円太郎馬車」と呼ばれるようになったのは、明治10年代に落語家の橘家円太郎が、乗り合い馬車の御者のラッパを吹いた物まねをして評判になったことから由来している。
(写真下)「局紋入り煉瓦」
東京市電気局の紋章が刻印された煉瓦。「電」や「路」の文字がある。
東京都は100万キロワットの天然ガス発電所をつくろうと考えているが、こんなルーツがあったと知っていただければ、興味がわくではありませんか。
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東日本大震災後、防災のまちづくりが急がれている。首都東京のネックは、木造密集地域である。
(写真上と左)道路や公園をつくり一定の“隙間”(行政用語で「延焼遮断帯」と呼ぶ)を確保していかなければいけない。三宿通りは行き止まりになっているが、そこを開通させると延焼が防げる。
(写真右下)法律上、道路に2メートルは接していないと建物は建てられない。いま示しているのは2メートルを確保できた家。奥まった住宅でも、これくらいは必要だ。
(写真右)
(写真左)床面積7㎡ちょっと。船のキャビンのようにコンパクトにできている。冷房もシャワーもトイレもある。
(写真左)二段ベッドも
ソニーの前代表取締役CEOの出井伸之さんが都議会議員の鈴木晶雅さんといっしょにお見えになった。
八丈島で地熱発電を見てきた。東京電力のつくった案内PRの地熱館が横にあります。3. 11以来、渋谷の電力館など各地の案内施設が閉鎖されていますが、地熱館は八丈島観光の有力な資源であり、一律閉鎖はおかしい、と東電に伝えました。
下の余白に「八丈ショメ節」を書き写しておきましたので、雰囲気を感じ取ってください。お酒を飲んで歌うといいらしいです。八丈島には歓楽街があります。人口8000人ですから、規模はたいしたことはないですが、通称「親不孝通り」と呼ぶところがおもしろいですね。浅沼道徳・八丈町長に泊まって行け、と言われましたが、時間がないのでごめんなさい。
八丈ショメ節
東京コカコーラボトリングと都内の認証保育所の協会が、災害時に飲料水を優先的に提供する協定を結んだ。約600の認証保育所に同社のミネラルウォーター(「い・ろ・は・す」555ミリリットル)を優先的に供給する。(左写真はその調印式、いちばん右にいる僕の隣から、コカコーラの中野泰三郎・副社長執行役員、青嶋暁子・都認証保育所協会長、廣島清次・日本こども育成協議 会長、杉村栄一・都福祉保健局長)
倉庫と違って機動性が高い。
ジンバブエ共和国の首都ハラレ市のムチャディ・アシュトン・マスンダ市長が来庁(写真右)。東京の 上下水道を視察に来たのである。
いたしました猪瀬直樹でございます。東日本大震災という未曾有の国難の中、東北3県の復興は、国政の迷走と霞が関のたて割り行政で遅々として進みません。首都直下型地震も想定される中で、地方分権の理念に基づいた防災対策の推進は喫緊の課題であります。国の縦割り行政は、様々な弊害を生み出しています。昨年、東京水道の海外進出に際して、国の所管は、水道は厚生労働省、下水道が国土交通省、ODAは外務省、地方公営企業法は総務省、産業革新機構の所管は経済産業省と機能的に対応できていません。
これからも、石原知事のもと、他の副知事と力を合わせ、東京の発展に向けて、全力を尽くして取り組んでまいります。都議会の皆様のご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
