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2010年2月

2010年2月26日 (金)

言語力、読解力が劣化している

    職業紹介が国で、生活保護の支給が地方、これではワンストップサービスにならない。仕事を見つけ、生活保護から脱出させるためには、ハローワークを地方に移管させたほうがよい。

   地方分権委員会の任務も終わったが、とくに努力したもののひとつが勧告文に国の出先機関の削減人数を明記したことだった。かなり激しい抵抗があったが、35000人の削減が記された。事前に漏れたらつぶされるので、当日、土壇場で入れたのである。一昨年の十二月八日だった。

   このごろ民主党の原口総務大臣や枝野行革刷新大臣が、「最低で35000人」とあちこちで発言しているが、その根拠がわかっているようでもなく口先で景気のよいことを言っているだけで困ったものだ。

   案の定、原口総務大臣は、2月25日に国会で、ハローワークの地方移管に否定的な発言をした。ハローワーク11000人を移管しないと、35000人は24000人になってしまう。そのぐらい単純なことがわからないようでは、地域主権もお先真っ暗である。

  こんなでたらめな言い換えが通用するとしたら、日本人の言語力が問題にされる。

   日本人の言語力、読解力が低下している。その対策を考えている。2月23日火曜日に幻冬舎の見城徹氏に、言いたいことがあれば提案してほしい、と話した。「朝の10分間読書運動」もあるし、昔は「生活綴り方」というものもあった。この土日は、東京都の行政でなにができるか、考えるのだ。

   いま文藝春秋4月号の校了ゲラが届いた。ブログはここでやめ。

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2010年2月25日 (木)

トヨタの公聴会とファクツファインディング

  トヨタの豊田社長がアメリカ議会の公聴会に呼ばれたが、電子制御については実証的なデータ、ファクツファインディングがないのに、感情的に追及されているのはフェアではない。

  ただこれは一種の‘戦争’なので、攻め込まれれば、ただ防御するしかないのだ。戦後の日本人は、こうした国際紛争まがいのフリクションに向き合っていない。戦前は、弱肉強食の帝国主義の時代だったから、こんな理不尽なことはあたりまえだった。それで、いつかやっつけてやろう、という感情がふだんはあまり前面には出てこなくても、溜まっていったのである。戦前の日本人は、ジャズや映画でアメリカが好きだった。けれど、日系移民が、南部の黒人並みに差別されていたこともよく知っていたから、屈折も深かった。そのうえで外交でいじめられる、それが、いつか……、となったのが太平洋戦争である。

  しかし、あれでガツンとやられたので、もう一度、戦争するわけにはいかない。トヨタの件がこうしたかたちで起きると、日本人の対米感情は複雑にくすぶりつづける。戦争に負けた事実はぬぐえないのだ。いまだに占領されているのだから。昭和16年に、なんとか戦争を回避すればよかったが、その点ではいまの北朝鮮の瀬戸際外交のほうが勝負に出て負けるリスクを未然に回避しているという意味で優れている 。

  拙著『ジミーの誕生日』にも書いたが、東京裁判で、アメリカ人弁護士の駆け引きを身近で見た日本人弁護士と被告の戦犯軍人は、我々も、もっと粘り強く外交交渉をしていれば危機を回避できた、と反省した。

  公聴会は敵陣だけれど、フェアにやれ、と冷静に正面から訴えるしかないのである。ファクツファインディングに徹することで、フェアであることを雄弁に示していくしかない。

  今回の出来事はトヨタだけの問題ではない。トヨタと自分は、特別に雇用関係がない、と思っている人が大部分だろうが、トヨタの問題が日本人と日本国の問題だと気づいたほうがよいだろう。自分は、日本人だからと考えて毎日を生きていないと思っているかもしれないが、それは戦後日本社会の時空でのみとらえているからだ。

『坂の上の雲』のころから現在までをひとつの時空としてみると、いま日本とアメリカで起きていることのほとんどはアナロジーでとらえられる。僕は15年ほど前に『黒船の世紀』を著したが、予見的であったつもりである。『猪瀬直樹著作集12巻』に収録されているのでお読みいただけばありがたい。

  日赤病院で内視鏡検査の結果の説明を受ける。異常なし。

  西麻布から広尾まで歩くと汗をかくぐらい暖かかった。

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2010年2月24日 (水)

3月は予算議会

 今日は午後から議会。正式には「平成22年第1回定例会会議」。開会は午後1時だが、12時40分から20分間、東京都交響楽団の弦楽四重奏を聴く。

 殺伐な議場にクラシックの生演奏をいれようと石原知事が提案して、いまでは都議会の伝統になっている。

 本日の曲目は、ヘンデル作曲の歌劇「セルセ」より『オンブラ・マイ・フ』、モーツァルト作曲の歌劇「フィガロの結婚」よりケルビーノのアリア『恋とはどんなものかしら』、マスカーニ作曲の歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲、エンニオ・モリコーネ作曲の「ネッラ・ファンタジア」、久石譲作曲の「Stand Alone」(NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の主題歌)です。

 1時からはじまった議会は、石原知事の施政方針演説、つづいて警視総監が都内の治安状況について述べ、監査委員による監査結果の報告、包括外部監査人による包括外部監査結果報告の説明。3時少し前に終わった。

 まあ、はじまりは儀式みたいなもの。来週は朝から晩までだ。3月は国も自治体も予算でもめるのだ。

 もっとも、自分が打ち出した政策が予算というかたちで実現するのは作品を仕上げることに似ている。

 今晩は締め切り原稿が2本。深夜になりそう。

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2010年2月23日 (火)

墨東病院事件を2度と起こさないために

 Img2232144520001_6  このグラフをご覧ください。
 赤と黄と緑に色分けしてあります。左から右へ、が変化です。

 一昨年の秋、都立墨東病院で重症妊婦を複数の病院が受け入れ拒否した問題に対処するため、僕が座長になって「周産期医療体制整備プロジェクトチーム」(PT)を立ち上げました。妊婦が死亡するという事件はなぜ起きたのか、検証するためです。

 新生児集中治療室(NICU)には透明なアクリルの容器があります。未熟児などがそのNICUで治療を受けます。5カ月や6カ月で生れた未熟児は掌にのるぐらい小さい。緊急に帝王切開しなければならないケースでも、NICUがあれば命が助かります。しかし、NICUは満床になりやすい。数が不足しているからです。満床であれば、受け入れられない、と断るケースも出てくる。

 NICUはなぜ足りないか。そこで収支計算をしてみたのです。高速道路の収支率を一本、一本、分析したときと同じやり方です。新生児と母体を救命する病院の収支モデル分析をして、NICU1床を運営するコストを算出した。

 大きな病院には透明な容器が12床ぐらいあります。部屋も無菌室で、かなり余裕がなければなりません。では透明な容器をひとつ設置するためにどのくらいのコストがかかるか。アクリルの容器が1つ、1年間で幾らで回っているか。医師や看護師の人件費、機器の購入費や運営費、薬品代、スペースのコスト(病院の建設費)などをインプットすると1床を運営するごとに病院は年間4174万円かかる。
 それに対して診療報酬は3315万円。都と国の補助金は57万円ずつ。745 万円分は赤字で病院側の負担となる。
 いちばん左の図。

 NICUを運営するだけこれだけ赤字が増えるなら、病院はNICU増床をしたがらない。当然です。
 厚労省は出生数1 万人あたり20床というNICUの整備方針を見直し、出生数1 万人あたり25~30床を目標とする、という方針を打ち出しているのに、病院に対してそのための補助金を増やそうとしなかった。
 だからPTの報告書では「診療報酬を実態に合わせて大幅に引き上げること」と同時に、「補助金を充実させる」ことで、周産期センターにNICUを増床するインセンティブを与えることを提言したのです。
 http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/iryo/kyuukyuu/syuusanki/index.html

 PTの提言を受けて、厚労省は昨年10月、概算要求でこの補助金を2010年度予算から引き上げ、国が176 万円に引き上げる案を示した。都もこれと同じく引き上げて176 万円とすれば、赤字額を507 万円に減らせるから。
 黄色の部分を増やして、赤色の部分を減らそうとした。それが左から2番目の図です。

 しかし、その補助金が昨年11月の事業仕分けで大幅にカットされた。
 左から3番目の図。たった1時間の議論で。とんでもない話だ。

 ただし増えた分に対して半分ですから、当初よりは赤字幅は少ないが。
(このあたりの経緯については、日経BPネットのコラム「眼からウロコ」に記してあります)。
 http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20091116/195526/

 2月12日に「中央社会保険医療協議会」が、2010年度の診療報酬改定を答申した。診療報酬分が3315万円から3854万円へと500 万円超ほど増えた。赤字幅は93万円に縮小している。
 一番右の図。
 
 こうして一番左から右へ、大きく改善された。問題提起をしてよかった。
               

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2010年2月19日 (金)

中国人と口裂け女

  新宿の都庁舎の45階展望室はタダなので、中国人の観光客が直通エレベータ前に列をなしている。新型インフルエンザ騒動があった五月ごろからパタリと中国人が姿を見せなくなったと思ったら、年末あたりから増えだし、旧正月のいまはかなり多い。

 東京新聞夕刊コラム(放射線)は金曜日の担当で今回は「水ビジネスの時代」というタイトルにした。中国人が水源地を確保するために日本の山林を買い漁っているらしい……。しかし、誰も見たものはいない。口裂け女の話に似ている、と。

 2月22日月曜日から10人の都庁の若手職員が、高齢者住宅の除雪作業のために夕張へ出発する。泊まるところは、廃校になった小学校を改造した格安ホテル「ひまわり」。人助けが研修なのだ。1週間はかなりきつい日程になっている。座学型の研修とは一味違う。

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ふらんすへ行きたしと思へども

2月18日木曜日(深夜に書くのでタイトルの日付は翌日になることが多い。念の為)

 全国知事会の出先機関PT(プロジェクトチーム)の会合が午後一時から三時まで。都道府県会館で開かれた。都道府県会館は赤坂見附から永田町へ向かう坂のあたりにある。

 座長は上田・埼玉県知事、出席知事は、北海道知事、香川県知事など。橋下・大阪府知事は欠席。地方分権委員会で出した勧告を現政権が実施すればすむ話ではないか、と僕は意見を述べた。こんな議論を一からはじめていては、地方分権委員会の3年間は無駄になる。自民党政権の時代につくられた委員会の勧告だから、だめだというのはおかしい。自民党政権は、出先機関の削減について、工程表をつくらなかった。逃げたのである。ならば民主党政権でやればよいだけの話だ。

 夜、ホテルオークラで、宇田川悟氏の「フランス農事功労賞」受賞を祝う会が開かれた。村上龍、佐藤可士和、フランソワーズ・モレシャン、妹尾河童、磯村尚徳、矢崎泰久、南部靖之、服部幸應、田崎真也などなど多彩であった。

 宇田川君は1976年にフランスに渡り、2000年まで滞在した。

 宇田川君は1970年を過ぎたばかりのころ、友人の友人ということで飲み友達になった。同い年である。パリに行きたい、とそのころから夢を語った。1976年に彼は羽田から旅立った。心細かったに違いない。成田空港もない時代、パリは遠かった。そして、仕事もさだかならず。 

 電話がかかってきた。撮った写真を週刊誌に売りこんでくれ。僕も無名でコネもさほどなく、パリと連絡もしなければならない。いまの人は知らないが、国際電話は一通話3分、5000円もした。時計の秒針を見ながら深呼吸してから電話をかけた。日本人の給料が5万円か10万円の時代である。

 出会ってから40年、あっというまである。

 乾杯の音頭をとれ、ということなので、諳じていたつぎの萩原朔太郎の詩(大正14年)の話をした。

 ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりにも遠し

 せめては新しき背広をきて きままなる旅にいでてみん。

 宇田川悟の著書は、文学を気取ったものではない。フランスの食文化について洞察が深いものが多い。なお夫人は、エッセイストの吉村葉子。内助の功というか外助の功が大きい。新刊は「フランス料理 二大巨匠物語」(河出書房新社)。

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2010年2月18日 (木)

「インターアクア2010 国際水ソリューション総合展」へ行った

 都庁にはほぼ毎日出勤している。
 知事が決裁する案件を事前にチェックしなければいけない。各局が案件を“レク”にくる。レクチャーの略である。わからないときは質問したり、問題があるときは指摘したりする。石原知事は、レクチャーとはなにごとだ、と怒ったので、知事に対しては“ブリ”という。ブリーフィングである。
 僕はスケジュールに書き込むときには、この用語をうまく使い分けるようにしている。何時何分にレクがあり、翌日の何時何分にブリ、という具合に。知事の執務室でのブリには必ず立ち会う。
 ブリには局を担当する副知事が立ち会う。局が違うと担当する別の副知事が立ち会う。特別秘書(2人)と知事本局長(官房長官にあたる)と無任所の副知事の僕は、すべてに立ち会う。
 それでも巨大な役所だから、気づかないことが少なくない。昨日、記した厳格な外部監査はそのためにも必要である。これまでも監査委員による監査はあったが、これは国における会計検査院と近い。監査委員の事務局は役人なので、それなりにまじめに監査をするが、言いにくいことは言わないという傾向があった。いわば内部監査だから。繰り返すが、国には会計検査院の検査はあっても、外部監査ではない。『日本国の研究』を書いたときに秘密裏に会計検査院の若いスタッフに会ったが、せっかく調べてもボツになる案件が少なくなかった、と嘆いていた。会計検査院の隠語で「(事務)総長のポケットは大きい」と表現するのだ。大事な案件がポケットに入ったら終わりである。

 午後2時ごろ、お台場の東京ビッグサイトへ。
「インターアクア2010 国際水ソリューション総合展」が開かれている。汚水処理や海水の淡水化の技術は、日本が世界一といわれている。東レは繊維メーカーだが、膜技術の分野で業績を上げている。日東電工も優れた技術で知られている。クボタのブースも見た。メタウォーターという会社はセラミック膜濾過装置を展示していた。日立プラントテクノロジーのブースで海水の淡水化の説明を受けた。積水化学のブースでは、水道管や下水管は国ごとに径のサイズが違うので世界各地に現地工場がある、と説明を受けた。アクセントが少しだけ違うので、どこの出身? と訊いたら西安だという。気づかないぐらい、日本語がうまかったので、はじめはわからなかった。

 早めに西麻布のオフィスに戻ると、太陽光パネルの取り付けが完成していた。昨日、だいたいできていたのだが、雨樋の取り付けなど若干の作業が繰り越しになっていたのである。足場が解体される前に、昇ってみた。

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 じゃ、記念写真を。現場責任者と僕。職人の若者二人。笑顔がよい。

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2010年2月17日 (水)

包括外部監査とは?

  2月16日付の産経新聞に東京都の外郭団体についてのスクープ記事が載っている。スクープといっても産経新聞の独自調査ではない。近々公表される包括外部監査の報告書を誰かがリークしたと思われる。

都の駐車場、管理業者が利益上乗せか 外部監査で指摘」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100216/crm1002160131004-n1.htm

「都公園協会 実態は赤字6091万円 他事業の利益組み込む」http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/m20100216045.html

東京都は1999年から、石原都政のスタート時から、包括外部監査を実施している。包括外部監査とは、以下のように説明されている。

「包括外部監査 地方自治法に基づいて、都道府県などに義務付けられている監査制度。知事が毎会計年度、公認会計士などと特定の個人契約を結んで特定のテーマについて、自治体や関係団体を監査させる。外部の目を入れることで、監査機能を強化する目的がある」

地方分権が正しいとしたら、こうした監査が義務付けられて公表されるからだ。国の出先機関も地方へ移管すれば、包括外部監査の対象となる。国の機関にはこうした監査が義務づけられていない。

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2010年2月15日 (月)

読売新聞2月14日付け

土曜日と日曜日は安静のため自宅で仕事。四年前から東工大の特任教授をやっている。試験の採点。100点が二人いた。

雨のため太陽光パネルの設置工事が遅れている。ようやく日曜日にアンカーを打ち、月曜日は中止で火曜日にパネル工事となる。2月16日は曇りのち雪、だそうだが、まあ、やれそう。

  2月14日日曜日の読売新聞朝刊3面に「無届けホーム 届け出足踏み」という記事。囲みで「都市部の低所得者向け施設 都・国が対策」とあり、地価の高い東京で施設をつくる場合には「面積基準を緩和」しないと実情に即した対策にならない、と国に提案したことが書かれている。「たまゆら」であれだけ騒いだテレビの報道は、こうした部分に視点をあてていない。

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2010年2月12日 (金)

内視鏡ぐらいですむ時代

休日なので髪を切りました。「爆笑問題」の田中君とまた出会ったが、

前も休日だったかもしれない。

夜は絶食。内視鏡検査のため。

金曜日は都庁に出勤だが、絶食のため、石原知事との会食(昼の会議)は、水で通した。

「芥川賞、タイトルがカタカナばっかりで。選考会は低調だった。食事と選考は分けるべきだな。選考が終わってから食事にすればよいし、選考の過程を公開したっていいと思う」

芥川賞をとっても、生活保護の人がいっぱいいるものね、というような話になった。

最近の芥川賞がおもしろくない、という場合、読者の支えの問題もある。

言語技術教育が必要になっている。 昔、生活つづり方、という運動があったし、最近でも10分間読書運動がつづけられている。

読解力、活字力をどう再生させるか。いろいろな方策を打ち出してみたい。

夕方、都庁を出て病院へ。内視鏡検査を済ませた。アルコールとスポーツは一週間禁止。

 内視鏡だからといって甘くみるな、というようなペーパーをもらって帰る。味噌汁の汁だけ。土曜日は五分粥。

群馬県の無届け有料老人ホームの「たまゆら」の理事長が逮捕されたが、事件から一年近い。すぐにPT(プロジェクトチーム)をつくった。報告書は「少子高齢化時代にふさわしい新たな『すまい』の実現に向けて」としてまとめた。

http://www.chijihon.metro.tokyo.jp/sumaipt/index.html

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2010年2月11日 (木)

東京都職員の夕張派遣、2月11日は何の日?

 2月10日水曜日
 夕張に2人の職員が東京都から常勤で派遣されている。
 それとは別に今年も雪かき隊を送る。2年前、夕張の市営プールの屋根が落ちた。雪下ろしの委託費がないからだ。そこで研修ということで短期間の派遣を考えた。秋には廃校の片づけ、夏にはメロン農家の手伝い。
 今度の雪かき隊は10人だが、夕張のゆうばりファンタスティック国際映画祭の手伝いもする。
 都庁の四階の会議室で、男女10人の若者と顔合わせ。いずれも志願者である。
 正式には「タイムリー研修」という。「地域での活動を通じて都政を考える」と題して夕張市に2年間、派遣されている鈴木直道君から、夕張の現況を説明してもらうのだ。
「この間、氷点下26度になって、アパートの壁がドカン、ドカンと不気味な音がした」
 
 夕張市役所の暖房は夕方に切れる。その後、夜10時ごろまでスキーウエアを着て仕事をするのだ。新宿の高層ビルにいてはわからない地方自治の現場を体験することが研修目的である。
 
 今週金曜日の東京新聞夕刊の連載コラム「放射線」に、先ほどもう少し詳しく書いて原稿を送ったところですのでご覧ください。

 コラムに書かなかったことを記したい。
 若い職員に言った。
 石原慎太郎が「文學界」の今月号に、「再生」という題の小説を書いている。眼が見えない、耳が聞こえない人の物語です。
 ヘレン・ケラーという女性がいましたが、日本全国に2万人、そういう人がいる。東京に2千人。そういう人がいる、と感じること。その内側から世界を見ること。
 夕張にいくことも、同じ、そちら側から世界を見ることなのです。
 それから、歴史を感じること。石炭を見ること。これは昨日の世界です。夕張には歴史の地層が露出していると思ってください。

 太陽光パネルの設置業者から電話が入り、「明日は雨なので工事は延期」。せっかく祝日をあてておいたのに残念。天気予報にもとづき屋外工事は土曜日と日曜日に変更された。

 仕事場で雑誌を整理していたスタッフが、漫画家のやくみつるさんが送ってくれた古い「文藝春秋」を入れたダンボール箱が出てきたという。フジテレビのコメンテイターでいっしょに並んでいたことがあったな。やくさんの手紙に「商店街の人からもらったのだけれど、猪瀬さんなら役立ててくれる」と送られてきたのは十数年も前のことだった。ゴメン、そのままになっていた。

 その一冊をふと手にした。昭和34年新年号。ということは1953年12月10日発売号。
 皇太子ご成婚が4月に控えている。美智子妃の嫁入り。
「この頃の皇太子殿下・小泉信三」とか「健康な庶民の血」とか「日清製粉という会社・三鬼陽之助」とか、なかなか直接的なタイトルに笑ってしまった。
 広告のページが切ないような。「テレビはナショナル、アメリカへ持って帰りたい」
 14インチ 、63000 円もする。
「テレビはゼネラル、一人息子…のように可愛がっていただいています」
 14インチ 、62000 円。
 給料が1万か2万円の時代。白黒テレビは高価だったが、4月のご成婚を見るために金持ちも貧乏人も、こぞって買ったのである。

 2月11日は建国記念日。戦前は紀元節と呼ばれた。
「紀元節についての私の信念・三笠宮崇仁」
 三笠宮は昭和天皇の末弟である。紀元節反対、と皇族が雑誌に書いている。これも直接的なタイトルで、そんな時代だったんだなあ、と思った。
 古い雑誌はおもしろい。それにしても「文藝春秋」は厚さも表紙の雰囲気も、折り畳みの目次も、いまとまったく変わらないことに驚いた。
 
 興味のある方は拙著「こころの王国」(文春文庫)を手にとってみてください。「文藝春秋」を創刊した菊池寛と女性秘書の物語です。
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2010年2月 9日 (火)

23区長との協議会・首都高大橋ジャンクション視察

 2月8日月曜日

 例年、東京都知事と二十三区の区長との協議会が開かれる。               

 夕方に会議を終え、懇談会に移った。

 中野区長と立ち話。若いころに中野区に四年いた。「神田川の歌詞のような暮らしでしたよ」と言ったら、田中大輔・中野区長は、「うちの区についての思い出、そういう人はけっこう多いですよ」と笑った。いつか“地元”で飲みましょう、と約束した。

 

 2月9日火曜日

 首都高速の大橋ジャンクションを視察した。

 首都高速は環状につながっていない。ミッシングリングがある。池袋から新宿まで二年前につながった。 6・7キロの区間である。これで都心の渋滞がいくらかはかなり減少した。今年の三月末に、新宿と池尻の 4・3キロがつながる。大橋ジャンクションは、首都高3号線の池尻の入口の脇にできる。これで池袋から11キロが連続してつながる。

 首都高中央環状線は、残りは品川まで。品川まで完成するのは4年後である。これができると渋滞はかなり減り、排気ガスも少なくなるだろう。

 大橋ジャクションは巨大なかたつむりの形をしている。ぐるぐると螺旋状に回っていく。かたつむりのなかで迷ってしまわないように、3号線を下り方面、つまり東名高速方面に回っていく場合には青色の東名という表示があり、都心の上り方面へいく場合には都環(circle1)と赤で表示するなどよく工夫している。想像していたより広い片側2車線である。

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2010年2月 5日 (金)

犬の取材、オーストラリアン・ケルピーを連れて。l

 2月5日金曜日。

 夕方、「論説委員・在京社会部長と知事の意見交換会」が開かれた。新聞社やテレビ局などの論説委員や社会部長が30人ほど、石原知事と意見交換する。石原知事以前からの形式的な行事である。コの字型の大きなテーブルに知事を囲んで席につく。恒例の年一回の行事は、ほとんど発言がないのであまり意味がない。こんなことやめちゃおうか、と石原知事は言っていたが、少し挑発すれば盛り上がるのではないか、と考えて、実際にそうしたら活発な意見交換会となった。速記録が上がったら、紹介しよう。

 明日、土曜日、sippoという犬の雑誌編集部から、インタビューを受ける。僕の飼い犬はオーストラリアン・ケルピーというちょっとめずらしい犬種である。近所の公園行く予定。3月に載せるので春めいた恰好をしてきてくれ、と言われた。寒いけれど。朝日新聞の土曜版の付録のような雑誌。掲載されるのはまだ先なので、その際にはお知らせする。

 トヨタのリコールにアメリカの底深い怖さ、そんなものを感じる。

 2月5日付の東京新聞に僕の連載コラム「放射線」が掲載されている。毎週、金曜日です。今回のテーマは「歴史意識の欠如」。バックナンバーを読みたい方は僕のメルマガを申し込んでください。

 

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2010年2月 4日 (木)

「東京からはじめよう」MXTV 2月6日土曜日夜9時放映

 吉村和就さんをスタジオにおまねきしました(スタジオといっても僕の仕事場の地下室)。

 吉村さんは「水ビジネス──110兆円水市場」の著者です。水ビジネスはこれから最も注目される分野です。

 収録は2月4日木曜日で、放映は2月6日土曜日夜9時。ほとんど生放送と変わりません。ぜひご覧ください。

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 朝青龍の引退は、おかしい。悪役、ヒールの活躍がなければ土俵は盛り上がらない。

 今年の大晦日、紅白歌合戦の裏番組は格闘技は、朝青龍が出ていると思う。

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2010年2月 3日 (水)

ブログをスタートします。

 2010年元旦からブログをスタートするつもりだったが、結局、2月に入ってしまいました。2月3日の節分。これを区切りとして、ぼつぼつとつづけていきます。

 

 西麻布の仕事場はコンクリートの打ちっ放しの四階建てである。斜めコンクリートの屋根に太陽光パネルをつける、と決めてからシャープ、京セラ、サンヨー、昭和シェルの四社に見積もりを出してもらい、そろそろ見積りが出揃ったところで決断しなければいけない。

 

 太陽光パネルを取り付ける場合、発電効率や価格の問題だけでなく、パネルを支えるアンカーがコンクリートの防水層に打ち込まれると、その穴から雨漏りの危険があることがわかってきた。そのあたり、工事屋さんとの詰めが大事。本日、取り付け工事のベテランの方に説明してもらった。この件については(補助金を含め)、なにが損でなにが得か、いずれ詳細に報告しましょう。

 

 マガジンハウス発行の「ブルータス」が吉本隆明特集を組んでいる。「共同幻想論」は難解だ、というふうに素直に紹介している。

鹿島茂の解説がわかりやすい。

「共同幻想論」が出版されたのは1968年。全共闘の学生の間に流行したが、いわれているほどのベストセラーではなかったと記憶している。原理主義的な学生は、難解であればあるほどありがたがったが、僕は素直に難解で理解しにくいところは無理に理解する必要はない、と思って物語として読んだ。

 

 その後、三島由紀夫の自決(19701125日)もあって、僕の友人の三年先輩のプー太郎が「勉強会」をやろう、と声をかけてきた。

 

 こんなことを書いている人を見つけたが……。僕の周りには、変な人がいっぱいいた。

 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4179/inose.html

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